安倍政権の改革の一つである働き方改革。
日本の旧来型の雇用状況からの脱却と労働力の円滑な確保に向けた改革として注目を浴びている改革ですが、これは別の言い方をすると旧態依然とした日本からの脱却を意味します。
そんな社会において、労働者はいかにして生き残るべきか。
今、その社会の変革の中での生き残り競争は、すでに始まっているといえるのです。
労働人口の低下を競争率の低下ととらえてはいけない。
働き方改革の主眼は労働力の円滑な確保
日本の労働力を担う労働人口が低下していることは、もはや一般常識です。
純粋に人口が減っていることがその主な要因ではありますが、それだけでなくその人口減少の一番コアな部分が若年層であることがその要因の大きな一つです。
これが国内だけであれば、人口が減れば労働力も減りますが需要も減るので何の問題もありません。
ところが日本企業のほとんどが、国内向けではなくグローバル企業である以上人口が減ったからといって労働力を落としていいわけではないのです。
そこに生まれるのが、労働者という資源の枯渇問題。
そこで始まったのがこの働き方改革であり、その一番の重要項目は、いかにして働ける人材を企業が確保するのかという点に重きが置かれているのです。
と、考えると、要は競争率が減って雇用が促進されると考えるのが普通です。
しかし、そう考えるのは早計で、実はこの働き方改革の本質は、変化に対応できない労働意欲の薄い若者を切り捨てる改革といっても過言ではないのです。
将来性より即戦力を求める時代
つまりどういうことかといえば、これまで将来性を踏まえて雇用していた社会から即戦力を求める社会に変わったということです。
そして即戦力であるならば、その人物の来歴は問わないということでもあります。
たとえば副業の解禁にしたってそうです。
即戦力としてのスキルと意欲があるのであれば、他企業に勤めている人間でも雇用するというのですから、言い換えれば自分の企業内での育成を一部分放棄しているとも言えます。
高齢者の雇用だってそうです。
高齢者の雇用というと、気楽な考え方をしていれば、年齢を重ねても社会保障制度は崩壊するのだから自分の食い扶持は自分で稼げ。という意味にとらえてしまいがちです。
しかし、それはあまりに楽観的な見方。
高齢者雇用の本質とは、すでに出来上がっている人材を年齢という画一的なファクトで排除することなく雇用していこうという事であり、純然と働き盛り世代のライバルとして位置づけられるのです。
しかも、ここに、外国人雇用・女性雇用とこれまでの社会ではあまり重要視されなかった雇用まで入ってくるのです。
むしろ、労働人口の低下によって生まれる働き方改革後の社会とは、労働競争の激しい実力本位の競争社会だととらえなければいけないのです。
企業の柔軟性に後れをとってはいけない
企業の対応は思いのほか早い。
働き方改革という新しい社会の形を模索する方向性が政府から示された後の、企業の対応は思いの外早いものでした。
もちろん、国際企業として存在している大手企業は、政府が方向性を指し示す前にある程度の準備はしていたのでしょうが、それにしてもその対応は柔軟だったといえるでしょう。
よく、日本企業の動きは鈍いなどと言いますが、それはあくまで先進性においてのこと。
自ら進んで変わることをよしとしない日本社会ですが、みんなが変わると決めてからの変わり身の早さは、むしろほかの先進国に比べて驚異的なスピード感を持っています。
それは、明治の開国、戦前の富国強兵、戦後の高度経済成長、など歴史的事実を出すまでもないことです。
そのスピード感の中で、多くの企業が働き方改革という名の雇用の自由化の波をうまく乗りこなして変革をスムーズに行いつつあります。
個別具体的な事例は今後の記事で触れるとして、聞けば知らない者はいない企業が進んで改革を行っているのです。
こうなると話は、一気にスピード感を帯びてきます。
大企業の動きは、その傘下たる中小企業にも波及し、社会のムードと船に乗り遅れたくない者たちの動向により社会は一気に変革を迎えるでしょう。
そうなったとき、その変革のスピードについていけない個人はどうなるのか。
言うまでもありません、明治維新についていけなかった武士の哀れな末路が現代によみがえるだけのことです。
安楽な不自由は消え厳しい自由が訪れる
もちろん、一部のハイレベルな知識やスキルを持っている人間にとってはこれはいい時代です。
その人間に柔軟性があろうとなかろうと、求められる人材である以上はその存在自体がこの働き方改革後の時代を自由にわたる通行証となるのです。
しかし、そうではない普通の労働者となるとこうはいきません。
こんなことは言うまでもないことですが、昭和の常識であった、大学を出て就職をしてその企業に育てられて円満に退職し退職金をもらって老後を生きるなんて時代ではないのです。
さらに言えば、ちゃんと仕事をしていれば生活出来ていくという時代でもなくなるでしょう。
正社員であることが、一番の安定という時代ですらなくなっていってもおかしくはありません。
価値観は崩壊し常識は覆され、ただ真面目に言われた通りに働けるというスキルは、使い捨ての駒として最適なスキルでしかなくなってしまうのです。
もちろん働き方改革によって社会は十分な選択肢を、労働者に与えてくれることになるでしょう。
しかしその選択肢は、どれかを選べば安楽に生きていけるというものではなく、どの選択肢を選ぶのも自由だけれど、選択肢を選んだことの責任は自己責任ですよというものでしかないのです。
そう、そこにあるのは安楽な不自由ではなく厳しい自由。
何でもありの、激しい競争社会の誕生なのです。
いかに価値観から自由になれるか。
そんな中普通のスキルしか持たない労働者に求められるものは何なのか。
それは、いかに固定化された価値観から脱却して、自由な視点で社会を見つめ自分を見つめ、そして自由な価値観を構築できるかという一点にかかってきます。
それは、当たり前の幸せは、幸せという価値観の一つに選択肢に過ぎないということです。
ひとつの企業に勤めきり浮気をしないことと、何度も転職を繰り返すことのどちらが正しいのかではなく、どちらが自分にふさわしい価値観なのかを選ぶ自由さ。
安定した収入を求めて仕事に専念することと収入を最低限に抑えて趣味に生きることのどちらが社会人として正しいのかではなく、どちらが自分の求める生き方なのかという自由な選択。
副業を持つということ、パラレルワーカーになること、リモートワーカーになること、フリーランスになること。
もちろん、一途な企業人になるということも含めて。
自分に適した働き方とは何なのか、自分にはどんなスキルがあるのか、どのスキルをもってどう社会で戦うのか。
そもそも、戦ってまで、高い収入を得ることが自分の生き方として正しいのか。
そんな、常識や通例にとらわれない選択をいかに自分に合わせてできるのかということが、この働き方改革後に訪れる自由という名の競争社会において戦う、最良にして唯一の方法なのです。
働き方改革より早く自己改革を進める。
とはいえ、正社員としてじっと耐える事が正しいと思ってきた人に、いきなりこんなことを言っても酷なものです。
しかし、社会は変わります。企業も変わります。これは確定的事実です。
となれば、もう、変わるしか選択肢は残されていません。
正社員として耐え忍んで生きていくという道を選んだとしてもそれが「それしか知らないから」ではなく「いろいろ知ったうえでこれが自分に適している」という選択の結果になるように。
働き方改革で社会が変わってしまう前に、まず、あなたから変わっていかざるを得ないのです。
パラレルワーカー
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