働き方改革法案が成立する公算が高くなってきました。
モリカケ問題にひと段落つけるためにも、政府はこちらをぐんぐんと推し進めてくるでしょうし、これといって代替案のない野党が実力行使の採決阻止をしても、もはや成立は待ったなしです。
つまり、もうすぐ働き方改革後の世界はやってくるということです。では、その世界はどんな世界で、どのようにして生きていくべきなのか、そこに迫ってみたいと思います。
必要最低限を確保する時代
働き方改革というと、残業が減るとか労働時間が減るというイメージを持っている人も多いでしょう。
また、それに合わせて賃金が減る、もしくは仕事で生計が賄えなくなるという危惧を抱えている人も多いと思います。では実際にどうなっていくのか、その展望を考えてみましょう。
まず抑えておくべきは労働生産性
まず抑えておくべきは労働生産性という言葉。これは簡単に言えば、きめられた時間内にどれだけの生産を行うかという「労働の効率」を指す言葉で、この数値が日本はかなり低いことは有名な話です。
かつて勤勉で働き者と世界中からあこがれを持たれた日本人は、今や「無駄に長く働く愚か者」でしかないのです。
じつは、働き方改革で労働時間を減らそうとし、残業をなくそうとしているのは、この状況を打破しようというわけなんですね。つまり、労働生産性とは「労働時間が長い」「生産量が少ない」の二つの要素ででき上っているわけなんですから、まずは前者をなくすことから始めようというわけです。
求められるのは短時間で結果を出すスキル
スキルという言葉を「専門性」や「特殊技術」などと言い換えてもよいのですが、つまりそういうことです。いくら労働生産性を上げるために労働時間を減らしたとしても、その結果同じように生産力が落ちていってしまっては、生産性は向上しないうえに、社会構造がマヒします。
ですから、そこに求められるのが「短時間で結果を出せるスキル」なのです。これには様々なものが考えられます。
たとえば、これから一番重要になってくるのがSEなどの専門スキルでしょう。また、それだけではなく、限られた人数を限られた時間内で最大効率を出せるように差配する「マネジメント能力」などもこの中に入ります。
こういった、専門性の高い、または能力の高いスキルというのがこの先さらに重要視されてくるのです。
スキルのない人間には最低限の生活
では。スキルのない人間はどうなるのかといえば、これはいわゆる「最低限の生活」を送る人となるでしょう。
今まで、会社の言う通りに働いて、就業時間内で終わらなかった仕事を残業で片付けてきたサラリーマンにとって。働き方改革はかなり厳しいものです。なぜなら「これまでの様なサラリーマンを評価しない」というのが働き方改革の骨子であり本質だからです。
そう、つまり持っている優位いつのスキルが「文句を言わず言われただけずっと働き続ける」という人間にとって、これからの社会は相当厳しいものになります。それこそ、単純労働というだれでも替えの利くことしかできない労働者を待っているのは、食っていくのにぎりぎり必要なだけの生活です。
変わらなければ、必要最低限で満足すべし
もし、働き方改革後の日本において、自ら変わることを拒絶するならば、最低限の生活に満足しなければいけません。何も路頭に迷わせようというのではなく、「必要最低限」の生活は営める社会になるのですから、飢えないだけましという境地に達するほかないのです。
もっと言えば、それは、分相応な暮らしを送りなさいということ。スキルも持たず独立独歩の精神もなく、変わることも変えることもしないのであれば、その人が営むことのできるのは食うにかつかつの生活です。
しかし、それはある意味当たり前。むしろ、スキルも独立独歩の精神もなく、ただ言われるがままに働いていていい暮らしができていたこれまでの社会が不健全なのです。
専門性を高めていくには~ドイツ社会を見る~
では、そんな時代で、よりよく生きていくためには何が必要なのでしょうか?
まず最初の一つは、専門性という大きな要素です。そこでここでは、専門性の高い仕事とはどういうものなのかを、欧州の優等生、ドイツの社会を見て考えてみましょう。
ドイツという日本に似て非なる国
良く、日本とドイツという国は、似ている国だといわれることがあります。
第二次世界大戦の敗戦国であるにもかかわらず、経済成長を遂げ、世界経済に欠かせない先進国の仲間入りを果たしているという事実。そして何より、勤勉で生真面目、といった国民性もまた日本に近いといわれています。
しかし、そんなドイツの労働生産性は、公益財団法人日本生産性本部の調べによれば、なんと日本の1.5倍もの生産性を誇っています。そして、証拠に輸出大国と息巻いていた日本の輸出額はドイツの半分。1人当たりのGDPはドイツの方が7000ドルほど高い数値になっているにもかかわらず、なんと労働時間は350時間(年間)も少ないのです。
そう、もはやドイツが日本に似ているなど、恥ずかしくて言えない状況なのです。
日本とドイツとの違い、それは専門性の重視。
では、かつては似ているといわれていた日本とドイツはどこで変わってしまったのか。
その実態について、ドイツの社会をのぞいてみましょう。
①役職=身分差ではない
ドイツにおいて役職とは、身分差のことではありません。
日本において経営者やCEOというのは組織のトップであり絶対的な権力者として存在しますが、ドイツにおいて経営者とは「経営の役割を担っている人」でしかありません。それは営業職でも事務職でも同様で、そこに上下はなく、専門性のある労働をしているという認識なのです。
これによって、現場に大きな権限が存在するようになり、現場に経営者が口を出したことで業務が遅滞したり、いちいち経営者がOKを出さなくとも話が先に進むというメリットが生まれるのです。
そして同時に、高い専門性が、職場でも養われていきます。つまりドイツにおいて出世とは「持っているスキルを高く評価されること」であり「権限の高い地位や部署に抜擢される」ことではないのです。ですから「総務で頑張っていつかは営業1課に!」といったサクセスストーリーはドイツにはないのです。
②報連相が社会人の常識ではない。
報連相というのが社会人の常識として、当たり前に定着している日本人にはわかりにくい話です。
しかしよく考えてみると、報連相というのは、ある意味個人に対する権限がはっきりと明示された状態で移譲されていないからこそ必要なものです。なにをするにも、周りと相談し上司にお伺いを立てるというのはというのは、労働者に必要な権限が与えられていないからですよね。
もちろん、ドイツには社会人は報連相を大切にという常識はありません。労働者個人は、会社から明確に与えられている権限と、それに付随する自らの個人的な責任をもって、自らの裁量で働くのです。労働者個人に権限と責任が明確に与えられている社会に、報連相は必要ないのです。
③目的意識の高い教育
日本において、教育レベルが高いとなると、大学卒ということになります。しかし、ドイツにおいては大学卒というのは一つのキャリアの形でしかなく、なんと小学校を卒業するころには(しかも4年生)自らのキャリアの形を選択することになるのです。
ひとつは基幹学校にすすみ、一般労働者として職業訓練校でスキルを得る道。もうひとつは実科学校にすすみ、職業専門学校や上級専門学校で高度な専門スキルを付ける道。そして最後が中高一貫校に進み、大学卒を目指す道です。
この結果、ドイツの社会においては、職業とは持っているスキルを活かす場所であるという認識が強く、社会に出た後もスキルアップを目指して学校に通ったり、転職で新しいスキルを付けることが当たり前なのです。
つまりドイツの学歴は日本のそれと違い「難しい上級学校に進んだ」ことに価値があるのではなく「学んだ結果なにを得たか」に価値があるのです。そう、日本の様に学歴はあるけど何もできない人間はドイツでは稀なのです。
改革すべきは労働者の意識
働き方改革は、国によって社会の大枠を変えるものです。しかし、もしこのまま日本人の労働に対する「甘え」のような考え方が解消されなければ、この先に待っているのは最低限の生活を幸せと考えなければいけない社会です。
例としてドイツの例を挙げましたが、これから私たちが戦っていくのは、こんな国なのです。
小学校4年の時に自分の生きていく道を定め、個人の責任において働き、貪欲にスキルを重ねていくものでないと立派な社会人ではない、そんな国と戦うのです。上役のいうことをただ聞いて、与えられた仕事をただこなし、報連相という責任転嫁をお題目にして働く時代は終わるのです。
日本人が真の労働者になれるのか、それこそが、これからの時代のテーマなのだといえるのです。
パラレル
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