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【常識にとらわれない】新しい働き方は本当に新しいのか?!

新しい働き方という言葉が巷に氾濫し、なんとなく胡散臭く思っている人もいるのではないでしょうか。きっとこれまでの常識的な社会に価値を感じている人ほど「うまくいくはずがない」ですとか「きっと一過性の流行に過ぎない」とお感じの方も多いことと思います。「日本人の伝統からすればそんなものが根付くはずがない」と。

しかし、それは本当にそうなのでしょうか?今言われている新しい働き方とは、日本人が初めて経験する、未知なる新流行なのでしょうか。ここでは、江戸時代を振り返ることで、そんなところについて考えてみます。

今の常識は比較的新しい価値観である

まず、認識してほしいこととしては、いま、働くということに関して常識とされている考え方についてです。例えば、人間は一つの仕事の専念した方がよい、ですとか、ひとところに定住してしっかり働いた方がいいですとか、もしくは大きな企業に属して正社員である方がいいという常識ですね。

実はこういった社会において正しいとされる常識や日本的な考えというのは、つい最近の価値観なのです。少なくとも、このような考え方が一般化したのは、早く考えても第二次世界大戦後、厳密に考えれば高度経済成長後のほぼ50年くらいのものでしかありません。

ですから、このような考え方は、日本人の伝統的な考え方というには少し短すぎると考えていいのです。では、このような考え方が日本に根付く前はいったい人々は働くということにどのような考えをもって生きていたのでしょうか。ときをぐんとさかのぼり、いわゆる日本の伝統文化の宝庫である江戸時代を見てみましょう。

江戸時代のパラレルワーカー

まずは江戸時代におけるパラレルワーカーについて考えてみます。というと、そんなものいるわけがないとお思いの方も多いかもしれませんが、実はそんなことはありません。ある意味江戸時代はパラレルワークがスタンダードともいえる時代だったのです。

目明し(岡っ引き)

江戸時代には、目明しという職業がありました。
これは公式には認められていないイリーガルな仕事になっていた時代もあるのですが、皆さんに分かりやすく言えば、あの十手をもって「御用だ誤用だ」といっている下っ端の人ですね。

この人たちは、武士ではなく、いわゆる一般の町人です。
もちろん、彼らは目明しとして給料をもらっているのですが、このような人たちはそれだけでなく、自分で何らかの商売をしているのが普通でした。

例えば、蕎麦屋を経営していたり、職人をやっていたり、中には農業に従事する人もいたそうです。
そして、何かの折、例えば犯罪者を取り締まったり、街中の見回りをしたりする時だけ、目明しとして公務についていたのです。まさにこれは、パラレルワーカーそのものですよね。

 

芸人

落語家や人形浄瑠璃の演者、歌舞伎役者の中には、他にきちんとした職を持っている人も少なく張りませんでした。特に、まだ駆け出しの見習い身分になると、芸をやってお金を稼ぐということ自体難しいものでしたから、ほとんどの下っ端の人たちは、何かしらの仕事をしていました。

いわゆる下積みという事になりますが、これもつまりはパラレルワークです。パラレルワークは、何も仕事を複数かけ持って収入を上げる事だけが目的ではなく、自分の夢を追ったり生活を充実させるためにNGOなどの無償の団体に属する人もいます。そう考えれば、まさにこれは、夢を追うために二つのキャリアを併せ持っているという状態です。

そして、もし芸事で名を成し出世することができなかったとしても、もう一つ持っていたキャリアを生かしてそちらの道に進む人も少なく張りませんでした。これもまたパラレルワークの特徴そのものですよね。

浪人

江戸にたくさんいたという、どこの組織にも属していない武士、つまり浪人。こういった人たちも、かなり多種多様な職業かけ持って、パラレルワーカーとしか言いようのない働き方をしていた人たちです。

例えば、よく言う寺子屋という場所で読み書きを教えていた人には、こういう浪人が多くいました。そしてそういった人が、夜になると街中に座って占いをしている「売卜(ばいぼく)」という職業をやっている人に早変わりという例も、少なくはありませんでした。

他にも剣術道場と用心棒をかけ持ったり、学者と絵師をかけ持ったりと、様々な職業をかけ持つパラレルワーカー浪人は江戸にごろごろ存在したのです。歴史上でいえば、かの有名な平賀源内などはまさにパラレルワーカー浪人であった彼は、作家(戯作者、小説家)であり、イラストレーターであり、俳人であり、発明家であり、興行師であり、学者であり、陶芸家であり、山師であった人です。そしてそのすべて手で日本最高レベルの業績を残しているあたり、史上最高のパラレルワーカーといえるでしょう。

江戸時代のノマドワーカー

さすがに、デジタル機器のなかった時代にノマドワーカーはいないだろう。
と、お思いの方もいるかもしれませんが、それはある意味正解で、いわゆるリモートワーカー的なノマドワーカーがいるはずもありません。しかし、各地を転々とし、その場その場で働く人というのはたくさんいたのです。

売薬さん

各地を転々とし、その場その場で働く人といえば、やはり代表格は売薬さん、つまり薬売りです。特に越中富山に多かったこの売薬さんは、日本中を歩いてまわって、その場その場で置き薬を販売、そうやって日本中の至る所で商売をしていました。

しかも彼らは、そうすることによって、各地の経済の状況や流通の状況などの情報収集もやっていました。そしてその情報を拠点である越中富山に持ち帰り、様々なジャンルにおいて情報を売りさばいてお金を稼いでいたという伝承もあります。ある意味、いまのノマドよりもよりノマド(遊牧民)的生き方といえるでしょう

算学者

江戸時代には、算学者という今でいう数学者がたくさん存在しました。彼らは、お金のためではなく、自分の趣味と楽しみのために日本中を転々とし、各地を放浪することによって同じく放浪する同じ算学者とバトルをするという、かなり変わった生き方をしていたと言います。

ただし、バトルといっても血で血を洗うというものではありません。算学者は各地を放浪していく中で、これは簡単にはとけないだろうという問題を思いつくと各地の寺や神社に「算額」といわれる問題を書いた板を奉納します。

そして、同じく同業の算学者が、寺や神社を回ってその「算額」の問題に挑戦するのです。そして、お金がなくなったり算額の問題に詰まったりすると、その地にとどまり、その地の農民などに数学を教えてお金や滞在中の食料を稼ぐという生活をしていたのです。自分の生活を充実させ、趣味に生きるために諸国をめぐり、各地で自分のスキルを活かして生きていくための仕事をするもうこれは、ノマドワークそのものだといっていいでしょう。

フリーランス

はっきり言ってフリーランスに関しては、江戸時代はそこら中にフリーランスのあふれる時代でした。大きな商家や職人集団に属さず、いわゆる「流れ」という形で仕事をしている人たちはみなフリーランスで、その理由は、自分で将来店を構えるためだったり、集団になじめなかったりといろいろ。

中にはのんびりとした生活のために、フリーランスをやっていた人たちもいました。そして彼らが、その生き方の担保として持っていたのが、いわゆる「手に職がある」という言葉通り、フリーランスでも儲かるだけの技術力、つまりスキルです。

他にも、例えば唄の師匠や書道の先生などの、おけいこ事を教えている人もフリーランス。葛飾北斎などの絵師、十返舎一九や滝沢馬琴といた小説家もフリーランスですし、学者や俳人、歌人といわれる人たちもフリーランスです。

他にも芸者、美容師(髪結い)、按摩(マッサージ)、代書屋(行政書士・フリーライター)などもそう。これらの人たちは、夢をかなえるためや自分の生活の自由な選択を求めてフリーで働く人が多く、何も社会の落伍者というわけではありません。

特に髪結いなどは、主に女性が行うフリーランスの仕事で、かなり高給をとっていたともいわれています。ハイクラスなスキル一本で、どこの組織にも属さず自分の力で人生を切り開いていく。まさに、今現在のフリーランスも見習いたくなるほどの、フリーランスの理想の姿がそこにはあったのです。

新しい働き方は新しくはない

さて、ここまででなんとなくわかってきたとは思いますが、実は新しい働き方とは、あまり新しくないものです。むしろ、高度経済成長後の日本でほんの50年ほど流行した一過性の働き方が崩壊して、働くというものが、個々の人材の能力に依存する当たり前の形に戻ったというべきなのです。

ですので「こんなもの一過性の流行だよ」という言葉は、いまの社会の常識にこそ向けられる言葉です。そして、「日本の伝統に合わない」という言葉もまた、いまの社会情勢にこそ当てはまる言葉だともいえるのです。

常識を疑い本質を見つめる時代

さて、ここまでで、私の言いたいことは、なにも江戸時代は素敵な時代だったということではありません。また、今の常識こそ一過性の流行であって、新しい働き方の方がむしろ日本の伝統にかなうということを言いたかったのでも、ありません。

では、何が言いたかったのか。
それは、これから新しい働き方が生まれてきて、人間の働くというスタイルが自由に、そして多くの選択肢をもって存在する時代には、こういう「常識を疑う」という視点が必要だといいたいわけです。

そして、その先にある「本質」を見つめる必要があると言いたいわけです。

私たちは今、歴史上初めてといってもいいくらい、常識や社会通念が通じない、大いなる自由という名の混沌の時代を生きていきます。である以上、そこに常識は通用しません。そんな時代を生きるには、いかに柔らかい思考をもって、多角的な価値観を持ち得るのか、ということが大事なのです。数々の文化や芸術を生み出した江戸の人たちのように。私たちは、もっと自由で創造的な人間になっていかなくてはいけないのです。

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